日本人にはなじみの深い「漬け物」という食べ物ですが、いったいいつ誰が、どのような目的で作ったものなのでしょうか?
日本各地のその土地土地にあるバラエティー豊かな漬け物がどのような成り立ちで生まれたのか気になりませんか?
日本の漬物のはじまり
日本の漬物は縄文時代から存在していたと言われています。
冷蔵保存がなかった時代、保存のために肉や魚、野菜を漬けものや燻製、天日干しにしていたことが漬物の原点です。
また、大和時代(3-7世紀)には野菜を塩漬けにして保存する技術が存在していたと考えられています。
といっても、現代のような漬け物ではなく、シンプルな塩漬けだったようです。
文献に登場し始めるのは奈良時代
漬け物が文献に登場し始めるのは奈良時代になってからです。この時代、主として寺院の僧侶の食事として、野菜や果物を塩漬けにした漬物が食べられていました。平城京跡から発掘された木簡には、「瓜の塩漬け」や「青菜の塩漬け」に関する記述があったそうです。
記録に残っている中で最も古い漬物の記録は、奈良時代の長屋王の邸宅の跡から見つかった木簡です。「加須津毛瓜(かすづけ うり)」や「加須津韓奈須比(かすづけの韓なすび)」、「醤津毛瓜(ひしお漬けのうり)」、「醤津名我(ひしお漬のみょうが)」などが記されています。
平安時代の漬け物レシピ?
平安時代(794年~1185年)は、日本の漬け物文化が徐々に多様化し、貴族や宮廷の食卓にも取り入れられるようになった時代です。この時代の漬け物は、塩漬けを基本としつつ、新しい技法や調味料が取り入れられ、保存食としてだけでなく味を楽しむ目的でも使われるようになりました。
平安時代中期に成立した律令の施行細則をまとめた法典『延喜式』には、酢漬け、醤漬け、糟漬け、須々保利(すずぼり)、えずつみなどの記録が残っており、現在の漬物の大半がすでにこの時代に完成されていたと考えられています。
また、『枕草子(清少納言)』や『源氏物語(紫式部)』の中にも、漬け物に関連する描写があります。これらは、漬け物が貴族階級にとっても身近な存在であったことを示しています。
平安時代には、漬け物を作るための陶器や木樽が使われるようになり、保存性や風味が向上、保存するための冷涼な場所や容器の工夫も発展しました。
鎌倉時代と武士と禅
鎌倉時代になると、武士階級の食文化に漬け物が取り入れられました。戦場や旅先で保存性が高く簡便に食べられる漬け物が重要視されました。
さらに禅宗の影響で精進料理が発展します。野菜中心の食事が基本であり、漬け物が重要な副菜として位置づけられました。シンプルな塩漬けや味噌漬けが好まれましたが、禅僧たちは保存性よりも野菜そのものの風味を活かすことにも注目しました。
また、鎌倉時代に制定された武家法『御成敗式目(1232年)』には保存食として漬け物の重要性が示唆されています。
室町時代は保存から食の楽しみへ
室町時代(1336年~1573年)は、漬け物文化がさらに進化し、多様な種類や技法が発展した時代です。この時代は、社会の安定や商業の発展に伴い、食文化が洗練され、漬け物も保存食から「食の楽しみ」の一部へと変化しました。
この時代京都を中心とした貴族文化や武士文化が融合し、食文化が高度に発展しました。商業の発達により、各地から調味料や新鮮な野菜が流通するようになり、漬け物の種類が多様化しました。粕漬け、ぬか漬け、味噌漬け、浅漬けと言った現代日本でも親しまれている漬け物が生まれた時代でもあります。
室町時代は地域ごとの特色を持つ漬け物文化が育まれました。京都では千枚漬けや柴漬けの原型が生まれ贈答用や宮中文化として発展しました。寒冷地では塩や麹を使った漬け物が発展し、野菜だけではなく魚を大量に塩漬けする技法が広がります。武士文化の中心地である関東地方では、保存性を重視したシンプルな塩漬けや粕漬けが一般的でした。
室町時代の辞書に位置づけられる『節用集』には漬け物に関する用語や調理方法が記載されており、当時の漬け物文化を知る重要な資料です。さらに農書や日記にも漬け物に関する記述が見られ、漬け物が日常生活の一部として広く浸透していたことがわかります。
漬け物最盛期の江戸時代
江戸時代(1603年~1868年)は、日本の漬け物文化が大きく花開いた時代です。安定した社会基盤と都市化の進展により、庶民の生活や食文化が多様化し、漬け物も保存食の域を超えて「味を楽しむ」食品として発展しました。また、技術や物流の発達によって、地域ごとの特色がさらに強調されました。
江戸時代は戦乱のない時代であり、農業生産が増大し、食材の種類が豊富になったことに加え、保存技術や調味料の発展により、多様な漬け物が誕生しました。また、物流網の発展で都市部に全国の漬け物が持ち込まれるようになりました。全国各地で独自の漬け物が発展し、それぞれの地域の気候や風土に適した漬け物が作られました。
この時代には今も親しまれている野沢菜漬けや福神漬け、沢庵漬けなどが生まれた時代です。主食の米を引き立てる「ご飯のお供」として庶民に欠かせないものでした。漬け物に含まれる塩分や発酵食品としての栄養価が、健康維持に役立つと考えられていたのです。
漬け物に関する記録が数多く残されており、庶民や武士の生活における漬け物の重要性が伺えます。『本朝食鑑』(1697年)では、漬け物の種類や作り方が記載されており、俳句や川柳にも漬け物が詠まれ、江戸時代の人々の日常生活の一部であったことがわかります。「漬け物屋」など専門店が登場し、商業的にも発展しました。
近現代は産業・健康・グローバル
明治時代
明治維新による西洋文化の流入とともに、漬け物は家庭で作られるだけでなく、商業的に生産されるようになり漬け物屋や加工食品工場が増え、漬け物が商品化されました。都市への人口集中により、家庭で漬け物を作る機会が減少し、市販の漬け物が普及しました。西洋から醸造技術が導入され、酢や醤油の品質向上が進みました。これにより、漬け物の風味が向上し、新しい製品が登場しました。
大正時代
第一次世界大戦の影響で、保存食としての漬け物の需要が高まりました。この時、瓶詰め漬け物や缶詰が生産され、長期間保存可能な商品が普及しました。日本の洋風化に伴い、漬け物の味付けや製法に、洋風の要素が加わりました。ピクルスやマスタードを使用した漬け物が都市部を中心に人気を集めました。
昭和時代
戦後の復興期に入り、漬け物の製造が工業化され、大量生産が可能になり、冷蔵技術の発展により、品質が安定した製品が市場に出回りました。そして、スーパーやコンビニエンスストアの普及により、漬け物が日常的に購入できる食品として定着しました。昭和の時代には浅漬けの素など、簡単に漬け物を作れる調味料が開発され、家庭での手作りが簡単になりました。戦後、漬け物が海外に紹介され、日本食文化の一部として知られるようになり、寿司と漬け物の組み合わせが海外でも人気を集めました。
平成・令和時代
乳酸菌を含むぬか漬けやキムチといった漬け物が発酵食品として注目され、健康に良い食品として再評価されました。また、真空パック漬け物や低塩漬け物など、現代の健康ニーズに対応した製品が開発されました。さらに、高品質の手作り漬け物や伝統製法を活かした商品が高級贈答品として注目されました。
最近では食品ロス削減の観点から、規格外野菜を活用した漬け物が注目されており、若年層向けに、スパイスやハーブを使ったフュージョン漬け物が開発されています。漬け物が日本食ブームとともに輸出され、世界中で親しまれています。ピクルスと日本の漬け物の融合製品が海外市場で人気です。
まとめ
日本の漬け物の歴史はいかがだったでしょうか?
漬け物は我々が生まれるはるかはるか昔から現代に至るまでニーズを変えながら人々とともにありました。
私も微力ながら漬け物文化に貢献していきたいと思っています!
皆さん、漬け物食べましょう!
最後まで読んでいただきありがとうございました😊
それでは皆さん、今日も良い漬け物ライフを!
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